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1,806円(税込1,986円)
フルーティな甘い香りに、スッキリした端麗さと、まろやかな味わいを合わせ持つ上品な味わいは、とても飲みやすくストレートでも楽しめます。
935円(税込1,028円)
フルーティな甘い香りに、スッキリした端麗さと、まろやかな味わいを合わせ持つ上品な味わいは、とても飲みやすくストレートでも楽しめます。
5,000円(税込5,500円)
「ANDROMEDA」では、芋焼酎を複数回蒸留しており、4時間ほどかかる蒸留のある特定の沸点を抜きだしたものです。
1,944円(税込2,138円) SOLD OUT
チェリーを思わせるようなフルーティーな香りに。心地よい爽やかな甘さを感じる新しい感覚の麦焼酎になりました。
2,639円(税込2,902円) SOLD OUT
蜜のように濃縮された甘い芳香。含むと粘性さえ感じさせるような甘さとふわりと香ばしさが広がります。
1,320円(税込1,452円) SOLD OUT
蜜のように濃縮された甘い芳香。含むと粘性さえ感じさせるような甘さとふわりと香ばしさが広がります。
2,363円(税込2,599円) SOLD OUT
オリエンタルさの奥には蜂蜜やバニラ、麦の香ばしさと甘さ、樽の香気が一体となりミズナラのフレーバーでフィニッシュを迎えます。
柳田酒造
赤鹿毛 青鹿毛 蔵元情報 〜都城という土地について〜
現在の都島町の位置に北郷義久が築いた城の名前「都之城」から名付けられた宮崎市に次ぐ県内第2の人口を有する都市。 宮崎と鹿児島の中間地点にあたる主要都市で、山に囲まれた盆地のような形をしています。 都城にある母智丘(もちお)公園は、桜百選にも選ばれる場所。 都城の地頭として赴任した三島通庸が植栽(日本人初のオリンピック選手であった三島弥彦氏の父親)したと言われています。 また、母智丘公園には農業試験場があり、今の芋品種のほとんどがその場所で開発された土地という関係性もある。 〜蔵の経緯〜 創業は1902年と現存する都城で最も古い蔵。それまでも個々に焼酎作りが行われていたが、明治32年(1899年)に自家用料酒税廃止・自家用料酒の禁止となり、酒類製造が免許制となったため創業。 創業時の銘柄は芋焼酎の千本桜。当時は生産者価格、卸価格、小売価格が酒税法で定められており、どの蔵も決められた価格でしか販売ができなかった。さらに確実に酒税を徴収するため製造石数も制限があったため、小さな蔵でもやっていけていたそうです。 その後、石数制限が撤廃。規制緩和によって製造量の制限がなくなったため一気に増石をする蔵が出現。価格競争で優位に出た結果、10場あったうちの6社が廃業。次は柳田酒造の番かと言われていた。 苦渋の決断で、芋焼酎の製造をやめ、麦焼酎への製造へと舵を切る。 当時、芋焼酎は香味が強く、一部に穀類の焼酎をブレンドして飲みやすくしていた経緯があった。 その理由としてて鹿児島市にも宮崎市にも一時間ほどで移動できる都城は営業の拠点として、各企業の支店が多く存在したことが挙げられます。 県外の人には当時の芋焼酎の強い風味が受け入れられず、県外から日本酒などを送ってもらって飲んでいた人がいるくらいだったのだそう。 そんな人たちに目をつけた先代が日本で最初に麦だけで仕込んだ麦焼酎を製品化。のちの「駒」となる発売当初の銘柄名は「むぎ焼酎」 個性的な香味の芋焼酎の中にあって洗練されたクリアな味わいは衝撃を与えたという。 その手法というのが、現蔵元の伯父にあたる柳田藤治氏(東農大名誉教授)がイオン交換濾過法を麦焼酎に応用した技術を開発したことでした。 その後、全国的にも超有名な銘柄が誕生するにあたり、蔵元が訪問していたという経緯があります。 その後、5代目蔵元柳田正さん(次男)が28歳の時に蔵入り。不思議と蔵を継いできたのはみんな「次男」なのだそうです。 〜銘柄名の由来〜 ・駒 推古天皇が「馬ならば 日向(ひむか)の駒(こま) 太刀ならば呉のま刀(さひ)」という歌から命名 当時、日向の馬は物怖じせず、戦場でも勇敢に駆け回る非常に優秀であったとされ、麦焼酎「駒」もその馬のように焼酎業界で駆け上がって欲しいという想いが込められています。 もう一つの理として宮崎県の「御崎馬(みさきうま)」という野生馬の生息する都井岬が観光名所となっていることも挙げられます。 ・赤鹿毛、青鹿毛 御崎馬の毛の色に多く存在するので、駒に因んで馬の関係のある名前。 ・千本桜 都城にある母智丘(もちお)公園は、桜百選にも選ばれる場所。 都城の地頭として赴任した三島通庸が植栽し、千本桜と言われているのがきっかけ 千本桜の復活エピソードは長いので蔵HPにてご覧ください http://www.yanagita.co.jp/products/mochio-senbonzakura/index.html 〜製造について〜 仕込み水は都城の地下水を地下100mから汲み上げて使用。都城は昔湖で火山湖と言われている。今湧き出ている水は約100年前の水で、火山灰に由来するミネラルでアルカリ性。 製麹は以前は三角棚を使っていたが2013年に麹室に改築。室は壁面だけでなく床も断熱材を使用。 三角棚を使わない理由 都城は盆地ということもあり昼夜の寒暖差が激しく、夜に麹の手入れ(菌糸が伸びてくると、米と米がくっついてしまうので、剥がす作業)をする際、三角棚の蓋を開けると内壁面が一気に結露し、作業中に上から水滴がポタポタ垂れてきてしまうほど。なので、手入れをしようとすると水滴が気になり、水滴を気にすると手入れが十分でないだった。 そこで、棚を囲うように麹室を設置し、納得のいくまで手入れをすることだできるようになった また、麹を入れる容器も工夫が施されており、麹の下の空間の空気を脱気→シャワーで加湿→過剰な湿度を取り除いたのち麹室に戻す→潤った空気が麹を通って麹下の空間に向かうという循環がなされています 麹の酵素を生成させながら、酸を生成させるのに、後半は温度を低くすることと湿度を高く保つ(清酒の場合は逆で、乾燥させていきます)ことが重要ということがわかってから、そのような設備を取り入れた。 ・蒸留は柳田酒造最大の特徴 蒸留器は搾り機で有名なヤブタ製。昔は鉄や錫を使って減圧のみしかできなかったが、今では改造して使っている。 蒸気には飽和蒸気(100℃)と過熱蒸気(100℃以上)とがあり、過熱蒸気は従来、焦げ臭や苦がでて良くないとされていた。しかし、様々なアタッチメントを用意し、求める酒質に合わせて蒸気圧を変えたり、蒸気の当てる方向を変えたりと自在にコントロールしている。 過熱蒸気も使い方により、焦げ臭などを出さないやり方ができるようになってきたとのこと。 ・熟成 脂肪酸が残っていると酒に悪さをするということは昔から言われてきたが、(軽くて)液中に溶け切らないものを取り除き、(重くて)液中に留まれるものは残しておく。このようにすれば、時間が経っても脂が悪さをすることは無いとわかってきた。 つまり熟成中に脂肪酸が浮いてきて、空気に触れると酸化して酒が悪くなる。酒の中にいる状態ではいい影響を与えてくれる。 そこで柳田酒造では朝の7時半から8時半頃の時間帯が一番脂肪酸が上がってくるため、その時間帯に濾過を行うのだそうです。 濾過には特別な動物の毛で作った網を用いる。焼酎の脂の相性が良いらしく、先代の頃からずっと使っている。この網を製造できるのが日本に一人しかおらず、無ければ柳田酒造の味は造れないというほど!! 予備で新しいものを注文したが、一年待ちだったそうです! |